【動画】ヤマトグループ100年のあゆみ!【前編】ヤマトの原点・社訓
2021.09.08
「歴史館に行ってみたいけれど実際に足を運ぶことができない」という皆さんにも楽しんでいただきたい!と、YAMATO NEWS webではサイト上で歴史館をご紹介する連載と動画をご用意しました。
今回は、前編。本記事を通して、ヤマトグループが歩んできた道をたどりながら、皆さまが歩んできた道を一緒に振り返って楽しんでいただきたいと思います。
それでは、ヤマトグループ100年の歴史を、どうぞ最後までお楽しみください。
「ようこそ、ヤマトグループ歴史館 クロネコヤマトミュージアム」へ!
“クロネコヤマトミュージアムって?”
「ヤマトグループ歴史館 クロネコヤマトミュージアム」は、ヤマトグループが2019年11月29日に創業100周年を迎えたことを記念して設立しました。1919年の創業から100年間のあゆみには、いつもお客さまの存在がありました。
お客さまの生活や世の中の移り変わりとともに成長してきたヤマトグループ。その100年のあゆみと、お客さまが歩んできた「道」を一緒に振り返ることができる歴史館として、お客さまへの感謝の気持ちをお届けしています。
創業の時代から、大和便と事業多角化の時代、宅急便の時代、新たな価値創出の時代まで、スロープを下りながら、100年の歩みを一歩ずつ振り返ることができます。
いざ、ヤマトグループ100年の歩みをたどる道へ!【動画】
まずはこちらをご覧ください!
▲クロネコヤマトミュージアム紹介動画
社員の心を1つにした“社訓と社歌”【小倉康臣の肉声を公開】
▲1932年小倉康臣の訓示【小倉康臣の肉声】
現在も受け継がれている「社訓」は、小倉康臣が1931(昭和6)年12月に制定したもの。康臣は、会社が社会から認められるためにはそこで働く一人ひとりの心がけが最も重要だと考えました。
社員がお客さまと接するときの立ち居振る舞いが、会社の立ち居振る舞いとなるのです。社員が同じ想いを抱いてそれぞれの現場で自主的に働くことができるよう、社員の心を1つにする取り組みを積極的に行いました。
1929年には社歌が制定されました。
▲映像2_大和運輸社歌
社員とともにあり続けた小倉康臣
創業するまで、自らわらじを履き、大八車を引いて野菜を売って歩いていた小倉康臣。彼は、経営者になってからも、汗を流して働く現場の人たちへの感謝と尊敬を忘れることはありませんでした。
戦後、社員同士の親睦をはかるため、職場対抗野球大会や花見大会、運動会などを開催。行事やクラブ活動も積極的に支援しました。そうした康臣の思いに感謝して、創業40周年記念式典の際、従業員 一同は康臣の肖像画とブロンズ胸像を贈りました。
日本初の路線事業“大和便”
イギリスのドア・ツー・ドアの仕組みから学んだ、あらたな輸送の仕組みが、日本の運送を大きく変えました。
▲コンテンツ動画 映像4ネットワーク拡大
小倉康臣は、欧米視察の際に訪れた、イギリスのカーターパターソン社に感銘を受けました。ドア・ツー・ドアで荷物を送るこの仕組みこそが、日本の小口輸送の需要に応え、運送を変えると直感し、同じ仕組みを作ろうと決意。1929(昭和4)年に東京・横浜間で日本初の路線事業となる定期便を開始、1935年には関東一円のネットワークが完成し、1936年名称を大和便に変更しました。
こうして拡大した大和便のネットワークは、宅急便発売時のネットワークの基盤となりました。
「もっと歴史について知りたい!」という方は、『ヤマトグループ100年史』をぜひご活用ください!
『ヤマトグループ100年史』はこちら!
※ヤマトグループ創業100周年サイト
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