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「仕事と家庭の両立なんて無理」最初はそう思っていた。
ヤマトへの愛と明るさで、役職者として母として日々邁進(前編)

2022.04.26

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ヤマトで働く女性たちは一体、どんな想いで、どんなことを考え、どんな働き方をしているのでしょうか?

そして、キャリアアップを実現して活躍している女性とは、どんな人なのでしょうか…?

 

今回は、東東京主管支店 経理担当マネージャー 藤木 幸子さんにインタビューをし、リアルな働く姿に迫ります!

 

プロフィール

東東京主管支店 経理担当マネージャー

藤木 幸子さん

1999年 アルバイトとして入社

2013年 パート社員として再入社

2020年 業務役職者登用

・経理担当マネージャーとして、経理業務を担当。主管全体の経理管理もしている。

 

入社のきっかけは偶然。人生の一大決心をじゃんけんで…?!

インタビュアー

ヤマトに入社されたきっかけは、何だったんですか?

藤木マネージャー

友達の旦那さんがヤマト社員で、「人が足りないから事務員やらない?」と声をかけられたのがきっかけです(笑)。
銀座営業所で事務員のアルバイトを始めたのは、22歳か23歳のときだったかな。

インタビュアー

面白いご縁ですね!当時はどんなお仕事を?

藤木マネージャー

出納、電話対応、荷物事故の処理までありとあらゆる仕事をしていました。当時は営業所1つで業務が完結していたので…。

その後、東東京主管支店ができて事務集約されました。営業所の事務員が主管勤務に変わったんです。
そのタイミングで営業企画課に異動して、ステップアップして係長になりました。

インタビュアー

なるほど、さまざまな業務を経験されたんですね。入社当初から役職者を目指していたんですか?

藤木マネージャー

いえ、全く考えていませんでした!
当時は女性役職者が少なくて、東東京主管には女性の係長すらいなかったんです。でも、上司から係長に推薦されて…。こんな大役私には無理!と一度は断ったのですが、「今でも十分にやってくれているから、そのままで大丈夫」という言葉に背中を押されました。

できないかもしれない、失敗するかもしれないけど、絶対的に支えてくれると思える上司がいるのでチャレンジできたのだと思います。

インタビュアー

上司の存在があったからこそなんですね。でもその後一度退職されていますね。

藤木マネージャー

そうなんです。30歳で出産したのですが、子どもが保育園に入れなくて。子育てもしたい、でも働きたい…。

悩みましたが、最後は夫とのじゃんけんで決めることに(笑)。結局負けてしまい、やむなく退社をしました。

インタビュアー

じゃんけんで決めたんですか!最初から、子どもが生まれても働きたいと思っていたんですか?

藤木マネージャー

まさか!若いころは、子どもが生まれても仕事をするなんて思ってもいませんでした。
子どもが生まれたら家でのんびりできるな、寿退社かな、と(笑)。

インタビュアー

え、そうなんですか?!どうして働き続けたいと思うようになったのでしょうか?

藤木マネージャー

何よりも、上司がなんでも挑戦させてくれて、やりがいもチームワークもあったのが大きな理由です。

それから、ヤマトならではのつながりに惹かれたのかな。例えば1つの荷物を届けるまでに北海道や九州のGOPと電話で話すのですが、距離が遠くてもしっかりつながっていると感じます。

荷物が届かないときにはみんなで一生懸命探したりして、お客さまの一つの荷物に対して、全員が同じ気持ちで親身に向き合っているんです。

インタビュアー

その感覚は、全国に仲間がいるヤマト運輸ならではですね。
働くうちにヤマトのことが好きになり、一度退社するも子育てが落ち着いたタイミングで再入社されたと。

藤木マネージャー

はい。36歳までは子育てに専念したのですが、離婚を経験しまして。

「もう一度働くならヤマトしかない」と、東東京の物流システム支店で、もう一度パートとしてキャリアをスタートしていくことになりました。

 

 

ゼロからの再スタート。マネージ社員の試験に一度は落ちて…?

インタビュアー

え?!係長まで務めていたのに、パートからですか…。

藤木マネージャー

その時は「なんで?」と思いましたが…。当時の主管支店長としては、また最初から道を切り開いてほしいという想いがあったんじゃないかな。他にも同じようにキャリア社員やマネージ社員を目指している人がいましたから。

とはいえ、3ヶ月後にはキャリア社員になって、主管営業企画課に異動しました。

インタビュアー

復帰して三か月で試験を受けるのは、かなり早いですね!

藤木マネージャー

そうかもしれません。マネージ社員までいきたいということは伝えていたので、すぐ機会をくれたのだと思います。

でも翌年のマネージチャレンジ試験には落ちてしまいました。

インタビュアー

なんと…。

藤木マネージャー

当時、事務員からマネージになるのは今より難しくて。落ち込んだときに主管支店長からいただいたのが、「試験だけではなくて、次は先のことまで見据えなさい」という言葉。

あきらめずに翌年も試験を受けて、無事合格することができました。

 

 

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