ヤマトの歴史丸わかり!100年史の見どころ
2021.08.05
ヤマトグループ100年の歴史が一冊に詰まった『ヤマトグループ100年史』。その中には、ヤマトをもっと知るための歴史的な出来事が散りばめられています。今回は、数あるエピソードの中からぜひ皆さんに知ってほしい、ヤマトのDNAを感じられるエピソードを紹介します。
“ヤマトの原点にあるイノベーション精神”
1919年9月、日本初の交通整理が行われ、当時貨物輸送の主流だった牛馬車が銀座の大通りを通れなくなりました。小倉康臣は、これに大きな衝撃を受け、「これからはスピードの時代だ」と感じ、1919年11月29日、自身の30歳の誕生日に「大和(やまと)運輸株式会社(現ヤマトホールディングス)」を創業しました。全国のトラックが204台という時代、大和運輸は4台のトラックを購入して、トラック運送事業を始めました。
“ヤマトは我なり”
1981 年 ウォークスルー車開発
「日本の車はどうして皆同じなのか?運転席から荷台へ行き来できる便利な車を考える人はいないのだろうか?」。永崎敏さんは、会議で聞いたこの小倉昌男社長の話が忘れられませんでした。その後、永崎さんを含む福岡主管支店の5人の社員がプロジェクトメンバーとして指名され、試行錯誤を重ね、廃車とベニヤ板を使った試作品を完成させました。小倉社長はこの試作品を熱心に視察し、東京への帰りの飛行機の時間が迫っても試作車から離れようとしませんでした。その後、トヨタ自動車工業の協力により製作された試作車は「ウォークスルー車」と名付けられ、1981年秋から東京・大阪・福岡で試乗テストを行いました。
“社会的インフラとしての宅急便”
1995 年 ヤマト運輸企業理念 (現ヤマトグループ企業理念)の制定
1931年に創業者小倉康臣が制定した「社訓」を原点に、「経営理念」「企業姿勢」「社員行動指針」の4つを柱に制定された企業理念。その裏で、小倉昌男会長が「経営理念」に「社会的インフラとしての」という言葉を入れるかどうか、「おこがましいかな」と自問自答しながら悩む様子が印象的だったと、当時の策定プロジェクトメンバーの山内雅喜(現ヤマトホールディングス会長)は振り返っています。すでに社会的インフラとなりつつあった宅急便の会社としての責任を負う覚悟がそこにありました。
編纂者の声
ヤマトグループ歴史館 館長
白鳥 美紀
創業100周年という節目にこの事業に携われることへの感謝を胸に、ヤマト人生の集大成という気持ちで臨んだのが今回の社史編纂でした。膨大な資料から正しい事実を確かめるのには苦労しましたが、最終的には100年間をまんべんなく記述できたと思っています。こうして完成できたのも、インタビューや資料提供、内容の確認に協力いただいた社員やOBなど多くの方々のおかげです。この社史を通じて、過去の歴史を学び、ヤマトの未来を考えるきっかけにしていただければと思っています。
購入者の声
グローバルSCM事業本部 美術品輸送課 アシスタントマネージャー
松野 久美子さん
断片的にしか知らなかった会社の歴史を改めて理解したいと思い購入しました。歴代車両の一覧含めトラックの写真が多く掲載されているので、車好きの息子(4歳)も気に入って読んでいます。
リテール事業本部 神奈川主管支店 鶴見二つ池センター グループ長
沓名 慧さん
さまざまなお客さまに宅急便をご利用いただく中で、ヤマト運輸は日本のインフラを担う企業だと感じ、もっと会社の事を知りたい、と思い購入しました。手元に届いてみると想像を絶する量で、まだ読みきれていないですが、これからのヤマトの中心となっていく同世代の社員にも、ぜひ手に取ってもらいたいです。
さらに詳しい内容に興味がある方は、『ヤマトグループ100年史』をご覧ください!
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